鉱山業では、江戸時代初期には佐渡(さど)金山や生野(いくの)銀山・石見(いわみ)銀山などからの金銀の生産が最盛期を迎えましたが、17世紀後半になると産出量が激減し、やがて銅が採掘(さいくつ)の中心となりました。
銅は幕府が管轄する足尾(あしお)銅山や、大坂の町人である泉屋(いずみや)が経営した別子(べっし)銅山などで採掘され、長崎貿易における輸出品や、急増する貨幣の鋳造(ちゅうぞう)に用いられました。なお、泉屋は現代の住友(すみとも)につながっています。
この他、砂鉄(さてつ)を採集して足踏(あしぶ)み式の送風装置(そうち)を持つ炉(ろ)を使用した「たたら製鉄」が中国地方や東北地方を中心に行われ、生産された玉鋼(たまはがね)は商品として全国に普及し、農具や工具に加工されました。
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