肥料はそれまでの刈敷(かりしき)や下肥(しもごえ)のほかに、イワシを干して乾燥させた干鰯(ほしか)や、アブラナなどの農作物から油を搾(しぼ)り取った残渣(ざんさ、残りかすのこと)である油粕(あぶらかす)などが用いられ、これらの新しい肥料は農家がお金を出して購入したことから「金肥(きんぴ)」と呼ばれました。
この時代には農学も発達して、17世紀末に著(あらわ)された宮崎安貞(みやざきやすさだ)の「農業全書」など農書(のうしょ)が広く読まれました。
作物としては、米などの他に全国各地で「商品作物」が盛んに栽培(さいばい)され、農民の重要な副収入となりました。桑(くわ)・漆(うるし)・茶・楮(こうぞ)の「四木(しぼく)」や、麻(あさ)・藍(あい)・紅花(べにばな)の「三草(さんそう)」が代表的な商品作物です。
この他、それまでは輸入に頼っていた木綿(もめん)が国内で栽培されるようになったり、養蚕業(ようさんぎょう)が広がって生糸(きいと)の生産が盛んとなったりしました。特に生糸は幕末における重要な輸出品となるまでに発達しました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。