次に、朝鮮通信使に対するこれまでの待遇が丁重(ていちょう)過ぎたと感じていた白石は、家宣の将軍就任の慶賀を目的に新たな通信使が我が国に派遣されてきた際に、その処遇を簡素化するとともに、それまでの朝鮮からの国書に「日本国大君殿下(たいくんでんか)」と書かれていたのを「日本国王」と改めさせました。
これらは、一国を代表する権力者である将軍の地位を明確にする意味が込められていましたが、同時に将軍と皇室との関係において、将軍家の地位を下げる結果ももたらしていました。なぜなら「国王」は「皇帝=天皇」よりも格下と考えることも可能だったからです。
さらに白石は「金の価値を落とした偽物を市中に出回らせることで不正な利益を上げることは許されない」という儒教的な観点から、勘定奉行に昇進していた荻原重秀を罷免(ひめん)すると、元禄小判を回収して金の含有率を元に戻した「正徳小判」を発行しましたが、貨幣の価値の上昇が必然的に物価の値下がりをもたらしたことでデフレーションを引き起こしてしまい、景気が悪化してしまいました。
これは、優秀な朱子学者だった白石ゆえに世の中の「生きた経済」が理解できなかったことによる失政でした。そして、このような「朱子学の考えを重視するゆえの経済の無知」は、この後も幕府が何度も繰り返すことになってしまうのです。
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