新たな宮家は、当時の113代東山(ひがしやま)天皇の子である直仁親王(なおひとしんのう)によって立てられ、閑院宮家(かんいんのみやけ)と呼ばれましたが、実は設置から約半世紀後に皇室の直系の血が絶えてしまい、閑院宮家から119代の光格(こうかく)天皇が誕生しました。
そして、光格天皇の血統は、現代の天皇陛下から弟君の秋篠宮文仁親王殿下(あきしののみやふみひとしんのうでんか)を通じて、悠仁親王殿下(ひさひとしんのうでんか)までつながっています。
つまり、白石が閑院宮家の創設に助力したことによって、現代にも皇室の血統が脈々と受け継がれているのです。その意味においても、白石の功績は非常に大きいものがあったといえるでしょう。
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