白石や間部は、家宣亡き後に4歳で跡を継いだ7代将軍の徳川家継(とくがわいえつぐ)にもそのまま仕えました。彼らによる政治を当時の代表的な元号から「正徳(しょうとく)の治(ち)」、または「正徳の政治」といいます。
ところで、家宣が将軍職を継いで真っ先に行ったことは生類憐みの令の「廃止」でした。一般的な歴史教科書には「廃止によって家宣が庶民の喝采(かっさい)を呼んだ」と書かれていることが多いですが、確かに食生活などにおける不満は高かったものの、20年以上に及んだ法令で世の中の価値観が一変したことで、その役目を終えたからこその廃止ともいうべきかもしれません。
さて、朱子学者であった白石は、文治政治をさらに推し進めるとともに、儒教の精神に基づく道徳論や権威に従って様々な政策を行いましたが、その結果は明暗がはっきりと分かれるものでした。
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