天災はそれだけでは終わりませんでした。4年後の宝永(ほうえい)4(1707)年旧暦10月には、元禄大地震を上回るマグニチュード8.6と推定される大地震が発生し、さらにその影響があったからか、49日後の同年旧暦11月23日には富士山が大噴火を起こしてしまいました。
富士山の噴火によって、周辺地域は壊滅的な打撃を受けて飢饉(ききん)が発生し、また大量の火山灰が降り積もったことで、江戸も大きな被害を受けました。当時の大地震は「宝永大地震」、富士山の大噴火は「宝永大噴火」と呼ばれています。
立て続けに起きる大火事や天災などの不幸な偶然は、それまでの元禄文化の残像を吹き飛ばし、庶民はやり場のない怒りや悲しみを、時の為政者である綱吉にぶつけるようになり、また綱吉自身もショックが大きかったのか、約1年後の宝永6(1709)年旧暦1月に64歳でこの世を去ってしまいました。
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