綱吉とセットで「悪人」とされている人物として側用人の柳沢吉保が知られていますが、吉保の本来の業務は「老中からの意見をまとめて綱吉に報告して意見をうかがう」ことであり、彼が私腹を肥やしていたというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)です。
ところで、吉保のような側用人を置くというシステムは綱吉自身が考え出したものでした。家康の独断によって始まった江戸時代の政治は、2代将軍の徳川秀忠以後は老中が意見をまとめて将軍に決裁を依頼し、将軍が事実上何の意見も述べずに承認するという形式が続きました。天下が平穏(へいおん)に治まった頃は、家柄や身分で政治を行ってもそれほど大きな問題にはならなかったのです。
しかし、世の中が変革を必要としているときは、その道に詳しい者でないと政治を任せられませんから、たとえ身分が低くても優秀であれば登用したいのですが、従来の身分秩序を基本とした合議制ではどうにもなりません。そこで綱吉は、大老の堀田正俊が暗殺された後に老中の上に側用人を置き、彼をワンクッションとして将軍自身の意見が通るようにシステムを一新したのです。
このような天才的なシステムを考案できるというのも、綱吉の有能な政治家としての一面ですね。さて「世の中が変革を必要としている」とたった今述べましたが、綱吉の治世の間には少なくとも2つの改革が必要でした。一つは生類憐みの令による武士や庶民の意識の変革でしたが、もう一つとは何だったのでしょうか。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。