こうした非常事態に、綱吉は経済に詳しかった勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)の荻原重秀(おぎわらしげひで)を抜擢(ばってき)して、彼に経済対策を一任しました。
重秀は綱吉の期待に応え、同じ一両でも金の含有率(がんゆうりつ)を従来の約84%から約57%に落とすことで貨幣(かへい)の量を増やし、従来の小判と同じ一両として引き換えることで、含有の金の量の差がそのまま幕府の収入につながるという、まさに一石二鳥の策で乗り切りました。なお、この時に発行された小判を「元禄小判」といいます。
ところで、一般的な歴史教科書には「元禄小判の発行によって貨幣価値が下がったことで、物価が上昇してインフレーションとなり、庶民の生活に大きな打撃を与えた」と書かれていますが、これは本当のことでしょうか。
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