また、綱吉は貞享元(1684)年に服忌令(ぶっきれい)を出し、近親に死者があった場合に、喪(も)に服したり忌引(きびき)をする日数を定めたりしました。服忌令によって、綱吉は血のケガレや死を忌(い)み嫌う風潮がつくり出されたのです。
次に綱吉は、武士だけでなく庶民に対しても「忠孝の道」を求めさせようとしましたが、その方法として、武士に対する武家諸法度のように法令を用いて庶民に道徳心を身につけさせようとしました。
そして貞享2(1685)年に「鳥類を銃で撃ってはならない」というお触れが出されると、以後も約20年間に渡って次々と新しい法令が追加されていきました。世にいう「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」の始まりです。
なお、生類憐みの令とはそういう名前の法令が出されたわけではなく、約20年の間に少しずつ増えてゆき、最終的に135個の法令が出されたものを総称して名付けられたものです。
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