綱吉が将軍に就任した頃は、江戸をはじめとする全国でいわゆる「戦国の遺風」が未だに残っており、至るところで血なまぐさい事件が起こるという殺伐(さつばつ)とした雰囲気が、我が国全体における道徳心の低下をもたらすという有様でした。
そんな暗い世情を一掃するために、綱吉は先代将軍の家綱の頃からの文治政治を一層強めましたが、そのキーワードとなったのが、彼が生来(せいらい)好んでいた朱子学がもたらす道徳心でした。
綱吉は、まず武士に染み付いた戦国時代の考え方を改めさせるため、天和(てんな)3(1683)年の代替わりの武家諸法度において、冒頭の「弓馬(きゅうば)の道」を「忠孝の道」と改めました。
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