家綱の治世において、正之は様々な政策を実行しました。幕府が大名の重臣の子弟を人質にとって江戸に住まわせる大名証人制度を廃止したのも正之ですし、江戸の水源不足を補うために引かれた玉川上水(たまがわじょうすい)は、施設の一部が21世紀の現代でも使用され続けるほど完成度の高いものとして有名です。
また、明暦(めいれき)3(1657)年に江戸の町を焼き尽くした明暦の大火(たいか)によって、江戸城の天守閣が焼け落ちましたが、天下泰平(てんかたいへい)の世に天守閣は不要として再建しないことを決め、代わりに江戸の道路を広げるなど都市機能の復興に全力を挙げました。
正之の子孫は松平(まつだいら)氏を名乗り、会津藩主として幕府を支え続けました。幕末に京都守護職(きょうとしゅごしょく)の重責を担(にな)い、新選組(しんせんぐみ)を率いて滅びゆく幕府を懸命に支えた松平容保(まつだいらかたもり)も会津藩主(ただし、徳川家の血を引いてはいるものの、系統上は養子)です。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。