薩摩藩は琉球を属領としながらも、表向きは独立国として、当初は明、後には清を宗主国とする朝貢(ちょうこう)関係を続けさせるとともに、チャイナとの貿易で得た物資や、琉球産の黒砂糖を薩摩へ納めさせました。
また、琉球は徳川将軍の代替わりごとに慶賀使(けいがし)を、琉球王の代替わりごとに謝恩使(しゃおんし)をそれぞれ幕府に派遣しましたが、これらはいずれも薩摩藩の指導によって、異国風の服装や髪型、あるいは旗や楽器を用いることで、琉球人を異民族のように振る舞わせる形式でした。
なお、薩摩藩によって、琉球とチャイナとの貿易はその後も続けられ、藩の貴重な財源となったほか、後には貿易による輸入品を薩摩藩が長崎で売却するようになりました。
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