その後、明治20(1887)年に伊沢修二(いざわしゅうじ)を校長として東京音楽学校が設立され、本格的な音楽教育が始まりました。なお、東京音楽学校は現在の東京芸術大学音楽学部の前身にあたります。
やがて、日本人からも滝廉太郎(たきれんたろう)のような優れた音楽家が現れ、彼が作曲した「荒城の月」「箱根八里」「花」などは、現代に至るまで広く歌い継がれています。
また、日清戦争の頃には軍歌が流行したほか、学校の校歌や寮歌(りょうか)も愛唱されました。早稲田大学の校歌である「都の西北(せいほく)」や、旧制第一高等学校の寮歌である「嗚呼(ああ)玉杯(ぎょくはい)に花うけて」などが有名です。
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