その後、明治29(1896)年に東京美術学校に洋画科が新設されたほか、同年にはフランス印象派の画風を学んだ「読書」や「湖畔(こはん)」で有名な黒田清輝(くろだせいき)が白馬会(はくばかい)を創立しました。
彫刻では、フランスのロダンに学んだ荻原守衛(おぎわらもりえ)が「女(おんな)」などの西洋風の彫塑(ちょうそ)を発達させた一方で、高村光雲(たかむらこううん)は「老猿(ろうえん)」などの伝統的な木彫(もくちょう)による作品を残しました。また、建築では優れた洋風建築が建てられましたが、なかでもイギリス人コンドルの「ニコライ堂」や、辰野金吾(たつのきんご)による「日本銀行本店」が有名です。
以上のように、明治期には伝統美術と西洋美術とがそれぞれ発展しましたが、両者の共栄共存を考えた文部省は、第一次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の文部大臣であった牧野伸顕(まきののぶあき)の尽力もあって、明治40(1907)年に文部省美術展覧会(=文展)を設けました。
なお、文展はその後大正8(1919)年には帝国美術院展覧会(=帝展)へと引き継がれ、現在の日本美術展覧会(=日展)につながっています。
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