寛永16(1639)年、幕府はポルトガル船の来航を禁止して、カトリックを信仰する国とは国交を断絶しました。さらに2年後の寛永18(1641)年には、平戸のオランダ商館を長崎の出島に移し、オランダ人と日本人との自由な交流も禁止するなど、長崎奉行の厳しい監視が続けられました。
この結果、我が国と貿易などの交渉を行ったのは、同じキリスト教でもプロテスタントを信仰し、我が国でキリスト教の布教をしないと約束したオランダと、同じ東アジアの国で、キリスト教とは無関係のチャイナ・朝鮮・琉球(りゅうきゅう)のみとなり、厳しい統制下による制限貿易の様子が、まるで国を閉ざしたように見えることから、後に「鎖国」と呼ばれるようになったのです。
なお、幕府によるキリスト教への弾圧はその後も続けられ、先述した寺請制度による宗門改めのほか、キリストやマリアの聖画像などを踏ませる「絵踏(えぶみ)」を行ったり、キリシタンの密告を奨励(しょうれい)したりするなどの政策を行いました。ちなみに、絵踏を行うために描かれた聖画像などは「踏絵(ふみえ)」と呼ばれています。
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