外国から「輸入する」ということは、その商品が我が国では手に入らなかったり、手に入ったとしても非常に高価だったりするのが普通です。と言うことは、輸入によって仕入れた商品は、相手がどんなに高価でも手に入れようとしたり、あるいは安く大量に手に入れたりすることによっても、結果的に大儲けにつながるというわけです。もちろん「輸出」の場合も理論的には同じです。
当時の貿易は、幕府だけではなく西国の大名も行っていました。大名が「おいしい」貿易を行って、その利益で強大な経済力と軍事力を持つことによって、幕府に反逆するようになることを恐れたのです。
元和2(1616)年、幕府はチャイナの船を除く外国船の寄港地を平戸と長崎に限定すると、寛永元(1624)年には宣教師の活動と関係が深かった、イスパニア船の来航を禁止しました。なお、その前の元和9(1623)年には、イギリスがオランダとの競争に敗れ、商館を閉じて撤退していました。
さらに寛永10(1633)年には、従来の朱印状の他に「老中奉書(ろうじゅうほうしょ)」という許可状を受けた「奉書船」以外の日本商船の海外渡航を禁止しました。これは、家康自身が発行したものも多かった朱印状の効力を取り消すことなく、老中のお墨付きという新たな条件を付けることで貿易を厳しく制限したものでした。
そして、寛永12(1635)年には日本人の海外渡航や在外日本人の帰国を全面的に禁止し、これによって朱印船貿易は終末を迎えました。また、この間にチャイナの船の寄港を長崎に限定したほか、長崎に出島(でじま)を築いてポルトガル人を移動させ、日本人との接触を制限しました。
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