家康はイスパニアとの交易にも積極的で、慶長14(1609)年に上総(かずさ、現在の千葉県の一部)に漂着したルソンの前総督ドン=ロドリゴを、翌慶長15(1610)年に船で送還する際に、京都の商人であった田中勝介(たなかしょうすけ)らを同行させ、イスパニア領ノヴィスパン(=メキシコ)との通商を求めました。
また、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね)は、慶長18(1613)年に家臣の支倉常長(はせくらつねなが)をイスパニアに派遣して、ノヴィスパンで直接交易を開こうとしましたが、いずれも目的を果たすことができませんでした。
なお、支倉常長の使節団は、当時の元号から「慶長遣欧(けんおう)使節」と呼ばれています。また、田中勝介は後に帰国を果たし、太平洋を横断した最初の日本人とされています。
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