一般的な歴史教科書の記述に見られる江戸時代の農民の暮らしぶりは上記のとおりですが、これらは本当のことでしょうか。この謎を探るためにも、まずは当時の人口の比率やコメに関する実情から考えてみましょう。
江戸時代の人口のうち、農民は実に8割以上を占(し)めていました。残り2割未満が武士や町人などです。この場合、通常の年貢率とされる「五公五民」が適用されれば、収穫のうち半分の5割が農民の口に入らなかったとすると、2割に満たない武士や町人が5割の米を食べていたことになりますよね。
武士や町人、あるいは農民という身分の違いがあっても、人間の胃袋の大きさに違いがあるはずがないのですから、上記の理屈はどう考えてもあり得ないのです。だとすれば、残りのコメはどこへ消えたのでしょうか。ちなみに、この頃の我が国はいわゆる「鎖国(さこく)」と呼ばれる状況でした(詳細は後述します)から、コメの輸出も考えられません。
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