長い戦国時代が終わって世の中が平和になったことで、17世紀に入ってから人口が急増し、それに伴って全国各地で新田開発が急速に進みました。これによって、17世紀末の我が国の人口は約2,700万人に達して100年前の2倍以上となり、村の数も全国で6万3,000余りまで増加しています。
村の種類としては、農業を中心とする農村を主体として漁村や山村(さんそん)、あるいは定期市などが行われて都市化した在郷町(ざいごうちょう)などがあり、その行政は名主(なぬし)・組頭(くみがしら)・百姓代(ひゃくしょうだい)の村方三役(むらかたさんやく)によって運営されました。
このうち名主は村の長であり、村内の由緒(ゆいしょ)ある地主が世襲することが多く、主に年貢の管理や治安維持にあたりました。なお、名主という呼び方は主に東日本で使用され、西日本では庄屋(しょうや)、東北・北陸・九州地方では肝煎(きもいり)と呼ばれました。
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