寺院に対しては、その宗派ごとに寺院法度(じいんはっと)を発令し、本山(ほんざん)や本寺(ほんじ)の地位を保障するとともにその下に末寺(まつじ)を組織して、全体に対して厳しく統制しました。これを本末(ほんまつ)制度といいます。
その後、4代将軍の徳川家綱(とくがわいえつな)の頃の寛文(かんぶん)5(1665)年には、宗派に関係なく寺院や僧侶全体を共通に統制するために諸宗(しょしゅう)寺院法度を出し、同年には神社や神職(しんしょく)に対しても同じように統制するために諸社禰宜神主(しょしゃねぎかんぬし)法度を発令しています。
なお、江戸幕府の設立の以前からキリスト教(=カトリック)に対する弾圧が厳しくなっていました。その詳細はいずれ後述しますが、幕府はカトリックの禁止を確実なものとするために、寛文4(1664)年に「寺請(てらうけ)制度」を設けました。
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