翌寛永12(1635)年には新たな武家諸法度となる「寛永令」を発布して、諸大名に妻子を江戸に残して人質としたうえで、江戸と国元(くにもと)とを1年おきに往復する「参勤交代」を義務づけました。参勤交代は大勢の配下を引き連れて長い道中を移動しなければならなかったことから、水陸交通の発達などをうながした一方で、諸大名は多大な出費を負担させられました。
この他にも「御手伝い普請(ぶしん)」と称して江戸城などの修築や各地の河川(かせん)などの土木工事を幕府が各藩に強要したことによって、多くの大名が経済的な負担に苦しむようになりました。なお「御手伝い普請」は「普請役(ふしんやく)」とも呼ばれています。
これは、諸大名に多大な負担を押し付けることによって、倒幕への軍備などを整えさせないようにするための作戦でもありました。かくして、家光の頃までに将軍と諸大名との主従関係が確立しましたが、将軍と大名、すなわち幕府と藩(はん)とによって全国を支配する体制を「幕藩(ばくはん)体制」といいます。
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