この作戦が功を奏して、家康は大坂城の外堀を埋めるという、徳川方にとって有利な条件で講和に持ち込むことに成功すると、その工事の際にドサクサに紛(まぎ)れて内堀まで埋めてしまいました。いかに巨大な大坂城といえども、堀がなくては裸も同然です。
翌慶長20(1615)年旧暦5月、再び徳川方に攻められた大坂城は、豊臣方の各兵の奮戦もむなしく落城し、秀頼と母親の淀殿(よどどの)が自害しました。世にいう「大坂夏の陣」です。この戦いの後、秀頼の子で8歳になる男子も後に捕えられて首をはねられ、豊臣家は完全に滅亡しました。
慶長19(1614)年から翌20(1615)年にかけての二度にわたる戦いは「大坂の役(えき)」とも呼ばれています。この戦い以降、徳川家に表立って対抗する勢力はいなくなり、江戸幕府は19世紀後半まで約260年以上も続きました。この時代を「江戸時代」といいます。
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