その他にも「てつはう」と呼ばれた爆発物(ばくはつぶつ)に馬も武士も大いに戸惑(とまど)うなど、幕府軍は苦戦を強(し)いられましたが、一方の元軍も幕府軍による激(はげ)しい抵抗(ていこう)によって大きな被害(ひがい)を受けたことで、やがて沖合(おきあい)に船を避難(ひなん)させると、何とそのまま退却(たいきゃく)してしまいました。この戦いは当時の年号から文永(ぶんえい)の役(えき)と呼(よ)ばれています。
なお、これまでの通説では季節外(きせつはず)れの暴風(ぼうふう)が吹き荒(あ)れたことで元軍が退却したとされてきましたが、実際には意外な抵抗を受けて怖(こわ)くなった元軍らが逃げ帰ったというのが真相(しんそう)であり、日本側の記録にも「朝になったら敵船も敵兵もきれいさっぱり見あたらなくなったので驚(おどろ)いた」と書かれています。
翌1275年、フビライは様子を見るために我が国に使者を送りましたが、幕府は使者の首をはねて外交拒絶(きょぜつ)の意志を明らかにしました。これは、以前に元が送った使者が我が国に長期間滞在(たいざい)したことで、スパイ活動をしていたのではないかと疑われたからでもあります。その他にも、幕府は異国警固番役を強化するとともに、博多湾沿いに石造の防塁(ぼうるい)である石塁(せきるい)を築いて、元の再来襲に備えました。
我が国の強硬な姿勢に対して、再び日本を攻める決断をした元は、1279年に南宋を滅ぼすと、返す刀で1281年の5月~6月にかけて、兵数約14万人、軍船約4000隻(せき)で二手に分かれて再び博多湾に侵攻(しんこう)しました。




いつも有難うございます。
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てっちゃん中尉 こんにちは、元寇ですか。
教科書のも載ってる、矢やてつはうで攻撃されている武士の画像がとても印象的です。
今晩は.
りら この時代からスパイがいたのですか!!
凄いお話しで興味深深です
日本は島国なので
比較的 外敵からは安全なのだと
誤解していました
今までのお話しを聞いていて
かなり危険が1杯だったんですね
自分の無知を知らされます
有難う御座います
絶体絶命?
オバrev 弘安の役は、14万の大軍ですか。本当に日本は危うかったですね。
ちょうど、台風の時期に重なっていたという話を読んだことあったけど、中国を統一した元ともあろう国がその辺のことを知らなかったんですかね?
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > こんにちは、元寇ですか。
> 教科書のも載ってる、矢やてつはうで攻撃されている武士の画像がとても印象的です。
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」ですね。資料的にも大変貴重だと思いますし、見た目で元寇の恐ろしさが分かりますよね。本当によく勝てたものだと思います。
この講座では、我が国がなぜ勝つことができたかについても紹介する予定ですので、楽しみにお待ち下さい(^_^)v
りらさんへ
黒田裕樹 仰るように、近代以前は海に囲まれているという利点はあったのですが、かえって海を渡ってきたスパイに気づきにくいという弱点がありました。元寇の際には、その弱点をうまく相手につかれたと思います。
もっとも、スパイに関しては21世紀の現代においても無縁といえるかどうかは分かりませんが…。
知識は無知から始まるものです。何ら恥ずかしいことはないですよ(^_^)v
.
HANA子 実は神風はなかった!
という説もあるそうなんですよね
実は元寇を記した記録の中に、神風を詳しく記した物がないものがあったとか
では、どうして日本軍は勝てたのか?
ていう疑問から元寇についての文献を色々読み漁ったのですが・・・
実は元寇は元による侵略ではなかった・・・なんて資料も
事の正否はともかくとして、やはり諸説様々な歴史上の大事件を調べるのはとても面白いモンです
センセの次回の講義も楽しみにしてま~す!
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 弘安の役は、14万の大軍ですか。本当に日本は危うかったですね。
文永の役の約3万の5倍近くでしたからね。元軍の本気ぶりが伝わりますが、迎え撃つ方も準備万端ですからね。
> ちょうど、台風の時期に重なっていたという話を読んだことあったけど、中国を統一した元ともあろう国がその辺のことを知らなかったんですかね?
モンゴル帝国は海の戦の経験がほとんどありませんし、何よりも本拠地は内陸部ですから、海に関する知識がなかったと思われます。そして、この欠点が元軍にとって最大のアキレス腱になるのですが…詳しくはもうしばらくお待ち下さいm(_ _)m
HANA子さんへ
黒田裕樹 神風については確かに存在を否定する説がありますね。
特に文永の役の頃は晩秋ですから、台風が来るとは考えにくいですし。
ただ、台風でなかったとしても、ちょっとした嵐が海の戦に不慣れな元軍の足を引っ張った可能性があるのと、元軍の船が欠陥品だった(理由は講座でも考察します)ために、台風クラスの暴風雨でなくても簡単に転覆したとも考えられます。
仰るとおり、元寇については様々な説がありますが、私たちがそうした説をあれこれ述べることができるのも、我が国が元軍に勝ったからこそなんですよね。少なくとも、その点における感謝の気持ちは忘れないでいたいものです。
消費税増税反対 4年前の記事にコメントしてすいませんが、元寇に関しては「通説」とは違う考えがあるので書き込みさせていただきます。
日本側の伝統的な戦法「一騎討ち」で元軍に挑み通用せず損害を被ったのが「通説」です。
しかし「一騎討ち」は日本の伝統的な戦法ではありません。儀礼的な戦いならともかく大戦で一騎討ちなどするでしょうか。
保元の乱や源平の戦いなどで武た士は集団戦どころか、夜襲などを平気で行っています。軍事的天才の義経は型破りな戦法を次々編み出しています。
その系譜である鎌倉武士団が一騎討ちなどという戦法を取るでしょうか。幕末では鉄砲を足軽道具などと馬鹿にしていたわけですが、常在戦場の鎌倉武士が非合理な戦法を取ったとは思えません。
日本側が取った「一騎討ち」はある宗教書にしか書かれておらず日本側を故意に貶め宗教を持ち上げるためにそう書かれたのではないかとの説もあります。
自分独自の考えではなく、ウィキペディアや他の書籍やブログなどの受け売りが大きいのですが。どうでしょうか?
消費税増税反対さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
通説と言えども様々な考えがあり、時を経て新たな通説が生まれることもあります。貴殿のお考えもいずれは新たな説として人口に膾炙することもあるかもしれませんが、当ブログは個人の説を主張するのではなく、我が国の伝統に即した「歴史の大きな流れ」に基づく考えを貫いております。
従って、貴殿の説を決して否定するものではありませんが、これまでどおりとさせていただきますのでご理解くださるようお願いします。
消費税増税反対 自分の唐突なコメントに回答してくださり感謝します。ありがとうございました。
消費税増税反対さんへ その2
黒田裕樹 こちらこそ、貴重なご意見を有難うございました。
教科書のも載ってる、矢やてつはうで攻撃されている武士の画像がとても印象的です。
凄いお話しで興味深深です
日本は島国なので
比較的 外敵からは安全なのだと
誤解していました
今までのお話しを聞いていて
かなり危険が1杯だったんですね
自分の無知を知らされます
有難う御座います
ちょうど、台風の時期に重なっていたという話を読んだことあったけど、中国を統一した元ともあろう国がその辺のことを知らなかったんですかね?
> 教科書のも載ってる、矢やてつはうで攻撃されている武士の画像がとても印象的です。
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」ですね。資料的にも大変貴重だと思いますし、見た目で元寇の恐ろしさが分かりますよね。本当によく勝てたものだと思います。
この講座では、我が国がなぜ勝つことができたかについても紹介する予定ですので、楽しみにお待ち下さい(^_^)v
もっとも、スパイに関しては21世紀の現代においても無縁といえるかどうかは分かりませんが…。
知識は無知から始まるものです。何ら恥ずかしいことはないですよ(^_^)v
という説もあるそうなんですよね
実は元寇を記した記録の中に、神風を詳しく記した物がないものがあったとか
では、どうして日本軍は勝てたのか?
ていう疑問から元寇についての文献を色々読み漁ったのですが・・・
実は元寇は元による侵略ではなかった・・・なんて資料も
事の正否はともかくとして、やはり諸説様々な歴史上の大事件を調べるのはとても面白いモンです
センセの次回の講義も楽しみにしてま~す!
文永の役の約3万の5倍近くでしたからね。元軍の本気ぶりが伝わりますが、迎え撃つ方も準備万端ですからね。
> ちょうど、台風の時期に重なっていたという話を読んだことあったけど、中国を統一した元ともあろう国がその辺のことを知らなかったんですかね?
モンゴル帝国は海の戦の経験がほとんどありませんし、何よりも本拠地は内陸部ですから、海に関する知識がなかったと思われます。そして、この欠点が元軍にとって最大のアキレス腱になるのですが…詳しくはもうしばらくお待ち下さいm(_ _)m
特に文永の役の頃は晩秋ですから、台風が来るとは考えにくいですし。
ただ、台風でなかったとしても、ちょっとした嵐が海の戦に不慣れな元軍の足を引っ張った可能性があるのと、元軍の船が欠陥品だった(理由は講座でも考察します)ために、台風クラスの暴風雨でなくても簡単に転覆したとも考えられます。
仰るとおり、元寇については様々な説がありますが、私たちがそうした説をあれこれ述べることができるのも、我が国が元軍に勝ったからこそなんですよね。少なくとも、その点における感謝の気持ちは忘れないでいたいものです。
日本側の伝統的な戦法「一騎討ち」で元軍に挑み通用せず損害を被ったのが「通説」です。
しかし「一騎討ち」は日本の伝統的な戦法ではありません。儀礼的な戦いならともかく大戦で一騎討ちなどするでしょうか。
保元の乱や源平の戦いなどで武た士は集団戦どころか、夜襲などを平気で行っています。軍事的天才の義経は型破りな戦法を次々編み出しています。
その系譜である鎌倉武士団が一騎討ちなどという戦法を取るでしょうか。幕末では鉄砲を足軽道具などと馬鹿にしていたわけですが、常在戦場の鎌倉武士が非合理な戦法を取ったとは思えません。
日本側が取った「一騎討ち」はある宗教書にしか書かれておらず日本側を故意に貶め宗教を持ち上げるためにそう書かれたのではないかとの説もあります。
自分独自の考えではなく、ウィキペディアや他の書籍やブログなどの受け売りが大きいのですが。どうでしょうか?
通説と言えども様々な考えがあり、時を経て新たな通説が生まれることもあります。貴殿のお考えもいずれは新たな説として人口に膾炙することもあるかもしれませんが、当ブログは個人の説を主張するのではなく、我が国の伝統に即した「歴史の大きな流れ」に基づく考えを貫いております。
従って、貴殿の説を決して否定するものではありませんが、これまでどおりとさせていただきますのでご理解くださるようお願いします。