こうした流れは庶民(しょみん)の生活にまで及び、いわゆる文明開化が花開いたほか、条約改正のために鹿鳴館(ろくめいかん)を建設して、連日のように舞踏会を開くなどの欧化主義にも走るようにもなりました。
しかし、こういった古来の我が国の伝統を軽視する風潮は明治20(1887)年前後になると治まり、自国の歴史や文化に目を向けるようになりました。例えば、徳富蘇峰(とくとみそほう)は民友社(みんゆうしゃ)を設立して「国民新聞」や雑誌「国民之友(こくみんのとも)」を発刊し、政府による欧化主義を貴族的欧化主義であると批判して、平民による近代化と産業社会の建設を目指した平民主義を主張しました。
その後、三国干渉に大きな衝撃を受けるとともに国際社会の現実を知った蘇峰は、以後は国家主義へと転じ、生涯を費やした代表作である「近世日本国民史」を著しました。
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