いずれにせよ、山崎の戦いによって、戦国武将としての明智光秀は滅びました。信長によって引き立てられ、大名にまで出世した光秀は、その大恩ある信長を討ち取ったことで「謀反人」という汚名をかぶることになってしまいました。
「三日天下」「洞ヶ峠」「天王山」など現代でも使用される言葉とともに、光秀の名前は我が国の歴史に永遠に残ることになったのです。
ところで、我が国における数々の歴史を振り返れば、まるで何かにとりつかれたかのように一つのことを成し遂げ、それが果たされた暁(あかつき)には、遠からず自らの生涯に幕を閉じてしまうという人物が存在します。
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