だとすれば、秀吉は明を「侵略」する意思はあったとしても、朝鮮半島そのものを侵略するという概念はなかったといえます。それなのに、秀吉の行為を「朝鮮侵略」と断言することは、秀吉の真意を見誤るだけではなく、歴史的にも正しい表現とはいえません。従って、ここはやはり「朝鮮出兵」と表現すべきなのです。
もちろん、現代にもつながる朝鮮半島の人々の秀吉に対する恨みや憎しみは理解しなければなりませんが、その一方で世界史には共通の原則があるのも事実です。それは「ある民族にとっての英雄は、他民族にとっての虐殺者(=戦争勝利者)である」ということです。
秀吉は、朝鮮半島の人々から見れば確かに許されざる侵略者ではありますが、その一方で、我が国にとっては天下統一を果たした英雄であり、戦国の乱世(らんせ)が続いた世の中に平和をもたらすきっかけをつくってくれた恩人でもあります。
また、先述したアレクサンドロス大王やチンギス=ハーンも英雄としての顔を持つ一方で、彼らによって虐殺され、滅ぼされた民族も大勢います。こうした現実を考えれば、我が国に関わらず、違う国同士で共通した歴史認識を持つという理想は、結局のところは不可能といえるのかもしれません。




いつも有難うございます。
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スカイラインV35 日本において「共通の歴史認識を持ちましょう」と主張する人は、「相手に合わせましょう」と言っているように聞こえますね。異なる歴史認識を全く受け入れられない人は、大人っぽくは感じられませんね。
歴史認識や政治的な意味合いは全くないと思いますが、美智子さまの「人は生きていくために多くの複雑さに耐えていかなければならないことを学んだ」というお言葉をふと思い出しました。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 日本において「共通の歴史認識を持ちましょう」と主張する人は、「相手に合わせましょう」と言っているように聞こえますね。異なる歴史認識を全く受け入れられない人は、大人っぽくは感じられませんね。
本文にも書きましたが、国同士で共通の歴史認識を持つというのはどう考えても無理がありすぎます。仰るとおり、どちらかが一方的に相手の主張を受け入れて終わり、では何の解決にもならないでしょう。
> 歴史認識や政治的な意味合いは全くないと思いますが、美智子さまの「人は生きていくために多くの複雑さに耐えていかなければならないことを学んだ」というお言葉をふと思い出しました。
皇后陛下のお言葉には重みが感じられますね。単純な人生なんてありえないように、国の歴史も一筋縄で語れるはずがありません。こういった基本的な理解も歴史教育の過程では必須といえるでしょう。
.
明天会更美好 例えば、中国はこれまで他国を侵略したことがないと主張していますが、欧米列強が進出するまでの1000年にわたって北ベトナムを中国領とし、現地人に漢字を強要するなどの漢化政策を実施してきました。
ですから、ベトナム人はベトナム戦争でアメリカ人にあれだけ被害をこうむったにもかかわらず、アメリカ人よりも中国人に対する反感が高いと聞きます。
これからもわかるように歴史というのはその国の為政者の「都合のいいように」伝えられるのが常なんですよね・・日本にせよ、韓国、中国にせよです。
わたしは「新しい歴史教科書」の見解には批判的ですが、今の学生たちに歴史の表裏をまず提示し、彼ら自身に選択させるような教育をしてほしいと切に願っています。
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴史は国や環境によって様々な表情を見せます。他国から見れば「都合がよい」歴史であっても、別の国からはそれが「独立を守るためには仕方がない」歴史に化けるように。
それだけに、歴史の光と影の両方を示した教育をするというお考えは私も同意ですが、我が国の歴史である以上、我が国側の立場での教育もまた重要だと思います。
.
ぴーち こんばんは!
私がよく使わせていただいている
言葉なのですが、
人間強い光を浴びると、濃い影が出来るものです。
光と影は常に表裏一体。
名声を浴びる側面もあれば、悪い噂を流される側面も持ち合わせているように思います。
ある反面ではそういう事実があり、またある反面ではこういう一面もあった・という
事で無理に事実を捻じ曲げて脚色する必要は無いようにも感じます。
応援凸
.
紗那 あぁ、そういえば確かに秀吉の目的は、明の征服でしたね。
確かに、表現は朝鮮出兵でいいかと思いますが、結果的に朝鮮を蹂躙したという事実は重く受け止めていくべきかなとは思います。
ただ、依然として、朝鮮の二国とはいろいろ揉めてるわけですから、こちら側だけ反省するのもなんとなく癪ですね。
先月くらいに、日本と中国の有識者で、歴史に対する見解のすり合わせみたいなのをやってましたが、あれを見てる限り、確かに見解の統一は難しそうですね。
.今晩は
りら 私への台湾編への貴重なコメント
ありがとうございました
私の拙い記事にいつも補足していた
だき感謝の気持ちで一杯です
これからも宜しくお願い
致します
.
オバrev 仰るとおり、違う国で歴史認識を同じくするということは不可能でしょうね。
無理矢理やろうとしても、どちらかが妥協するしかないと思います。
となると、いつまでもそれを問題にするのではなく、ある時点で表面上精算しないと未来が開けないのではないでしょうか。
しかしそういう歴史認識の違いを差し置いて、民間の経済的結びつきは遙か先を行っているように思います。
.
彩 こんにちは。
ご訪問ありがとうございました。
最後の一文、共感します。
歴史というのは一方だけから
見られるものではないのでしょうね。
国が違うのなら尚更なのでしょう。
原爆投下の話題でも同じように思います。
秀吉の話で思い出したのですが、
彼の死因は脚気だったという見方があるそうですが
どうやって調べるのかご存知ですか?
仰るとおりです。
晴雨堂ミカエル むかし、日本人がコロンブスのアメリカ大陸「発見」500周年記念に、復元したサンタ・マリア号で航海した事がありますが、私はそのニュースを聞いて「日本人はおめでたい馬鹿が多い」と思ったものでした。
欧米人が喜々として行うならまだしも、なぜアジア人である日本人がありがたがるのか。
日本人の特質なのか、アメリカに遠慮した教育の成果なのか。
黒田氏のご見解を講座を通してお聞かせくださるとありがたい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 光と影は常に表裏一体。
> 名声を浴びる側面もあれば、悪い噂を流される側面も持ち合わせているように思います。
> ある反面ではそういう事実があり、またある反面ではこういう一面もあった・という
> 事で無理に事実を捻じ曲げて脚色する必要は無いようにも感じます。
仰るとおりです。
秀吉の場合も、結果として朝鮮半島の人々に迷惑をかけた事実は事実として厳粛に受け止める一方で、祖国防衛のための先制攻撃で、かつ当初は半島を攻める予定はなかったという過程も同時に理解しなければいけません。
「朝鮮侵略」と決め付けることは、そういった過程を一切無視して、現代の視点から秀吉の行為を一方的に「愚劣である」と決め付ける行為に等しいものです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あぁ、そういえば確かに秀吉の目的は、明の征服でしたね。
> 確かに、表現は朝鮮出兵でいいかと思いますが、結果的に朝鮮を蹂躙したという事実は重く受け止めていくべきかなとは思います。
そのとおり、明の征服が秀吉の目的です。
無論、秀吉が当時の朝鮮半島の人々に迷惑をかけたという事実を私たち日本人も忘れてはいけません。しかし、本文にもあるように、「朝鮮出兵」という表記でも私たちは秀吉の行為を十分に理解することが可能です。
> ただ、依然として、朝鮮の二国とはいろいろ揉めてるわけですから、こちら側だけ反省するのもなんとなく癪ですね。
> 先月くらいに、日本と中国の有識者で、歴史に対する見解のすり合わせみたいなのをやってましたが、あれを見てる限り、確かに見解の統一は難しそうですね。
極めて重要なご意見ですね。
もし歴史を相互に理解することが可能であるとすれば、お互いの善悪の立場をそれこそ「両論併記」しなければ収まりがつかないでしょう。だとすれば、どちらかが一方的に反省したり、あるいはすり寄ったりするやり方には大いに疑問を感じざるを得ず、それこそ「癪にさわる」という感情が自然と出てくるものです。
りらさんへ
黒田裕樹 いえいえ、むしろ余計なことを書いていないかという思いにもなりましたが、ご満足いただけて有難いです。
私は世界史が専門ではありませんが、今後もりらさんのブログでの「世界一周」に対して、自分なりのコメントができればと思っております。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 仰るとおり、違う国で歴史認識を同じくするということは不可能でしょうね。
> 無理矢理やろうとしても、どちらかが妥協するしかないと思います。
> となると、いつまでもそれを問題にするのではなく、ある時点で表面上精算しないと未来が開けないのではないでしょうか。
そのとおりです。両論併記の形で妥協するしか方法がありませんし、どちらか一方がねじ曲げられた歴史認識を持とうとするのは問題がありすぎます。
> しかしそういう歴史認識の違いを差し置いて、民間の経済的結びつきは遙か先を行っているように思います。
平安~鎌倉時代の宋(北宋あるいは南宋)などのように、我が国はもともと中国大陸とは正式な国交を結ばずとも民間の貿易が頻繁に行われていたという歴史的事実がありますからね。
「中国の歴史認識に合わせないと経済的結びつきに支障が出る」と主張する人々がいますが、我が国との経済的交流が断たれて困るのは、果たして我が国だけでしょうか?
下手をすれば売国奴扱いをされかねない言動は慎むべきであると思います。
彩さんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> ご訪問ありがとうございました。
いえいえ、この度はおめでとうございます。
> 最後の一文、共感します。
> 歴史というのは一方だけから
> 見られるものではないのでしょうね。
> 国が違うのなら尚更なのでしょう。
> 原爆投下の話題でも同じように思います。
北米まで留学なさっておられる彩さんならではのご意見ですね。
原爆投下という人類最大の愚行に関しても、アメリカは口をぬぐって国としては絶対に謝罪しようとしない。それはそれで仕方がないのかもしれませんが、私たち日本人は「水に流す」ことがあっても、原爆が落とされたという事実をずっと子孫に伝えていくことでしょう。
> 秀吉の話で思い出したのですが、
> 彼の死因は脚気だったという見方があるそうですが
> どうやって調べるのかご存知ですか?
秀吉の墓を開けて遺骨の調査をしたという記憶がありませんから、おそらくは伝えられた当時の様々な症状から総合的に判断したと考えられます。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 日本人が世界の歴史に対してあまりにも「無知」であることから起きた現象でしょう。
もちろん、生来の「お祭り好き」という一面もあるでしょうが、歴史的経緯をしっかりと学んでいれば、少なくとも「有難がる」ことはなかったはずです。
いずれにせよ、日本人が世界どころか、自分の国の歴史の真実すらなおざりにしているからこそ、「起こるべくして起こった」出来事です。嘆かわしいと思う前に、何をなすべきかを考えたいものですが、拙ブログが改善に向けての一つの手段たり得べきでありたいとも願っております。
今晩は
りら 今日の私のアップは韓国です
朝鮮半島の問題は微妙で
我が国とも今回の講座のように
秀吉の時代からかなり歴史的に
提議がされていますよね
色々な意見もあり またそれを
言える権利のある今の日本は
やっぱり良いですね
りらさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国では憲法でも「言論の自由」が保障されています。
こうした自由は、長年の歴史の積み重ねで成立したもの。別の国のように失うことのないように、我が国の政治もしっかりと行って欲しいものです。
歴史認識や政治的な意味合いは全くないと思いますが、美智子さまの「人は生きていくために多くの複雑さに耐えていかなければならないことを学んだ」というお言葉をふと思い出しました。
本文にも書きましたが、国同士で共通の歴史認識を持つというのはどう考えても無理がありすぎます。仰るとおり、どちらかが一方的に相手の主張を受け入れて終わり、では何の解決にもならないでしょう。
> 歴史認識や政治的な意味合いは全くないと思いますが、美智子さまの「人は生きていくために多くの複雑さに耐えていかなければならないことを学んだ」というお言葉をふと思い出しました。
皇后陛下のお言葉には重みが感じられますね。単純な人生なんてありえないように、国の歴史も一筋縄で語れるはずがありません。こういった基本的な理解も歴史教育の過程では必須といえるでしょう。
ですから、ベトナム人はベトナム戦争でアメリカ人にあれだけ被害をこうむったにもかかわらず、アメリカ人よりも中国人に対する反感が高いと聞きます。
これからもわかるように歴史というのはその国の為政者の「都合のいいように」伝えられるのが常なんですよね・・日本にせよ、韓国、中国にせよです。
わたしは「新しい歴史教科書」の見解には批判的ですが、今の学生たちに歴史の表裏をまず提示し、彼ら自身に選択させるような教育をしてほしいと切に願っています。
それだけに、歴史の光と影の両方を示した教育をするというお考えは私も同意ですが、我が国の歴史である以上、我が国側の立場での教育もまた重要だと思います。
私がよく使わせていただいている
言葉なのですが、
人間強い光を浴びると、濃い影が出来るものです。
光と影は常に表裏一体。
名声を浴びる側面もあれば、悪い噂を流される側面も持ち合わせているように思います。
ある反面ではそういう事実があり、またある反面ではこういう一面もあった・という
事で無理に事実を捻じ曲げて脚色する必要は無いようにも感じます。
応援凸
確かに、表現は朝鮮出兵でいいかと思いますが、結果的に朝鮮を蹂躙したという事実は重く受け止めていくべきかなとは思います。
ただ、依然として、朝鮮の二国とはいろいろ揉めてるわけですから、こちら側だけ反省するのもなんとなく癪ですね。
先月くらいに、日本と中国の有識者で、歴史に対する見解のすり合わせみたいなのをやってましたが、あれを見てる限り、確かに見解の統一は難しそうですね。
ありがとうございました
私の拙い記事にいつも補足していた
だき感謝の気持ちで一杯です
これからも宜しくお願い
致します
無理矢理やろうとしても、どちらかが妥協するしかないと思います。
となると、いつまでもそれを問題にするのではなく、ある時点で表面上精算しないと未来が開けないのではないでしょうか。
しかしそういう歴史認識の違いを差し置いて、民間の経済的結びつきは遙か先を行っているように思います。
ご訪問ありがとうございました。
最後の一文、共感します。
歴史というのは一方だけから
見られるものではないのでしょうね。
国が違うのなら尚更なのでしょう。
原爆投下の話題でも同じように思います。
秀吉の話で思い出したのですが、
彼の死因は脚気だったという見方があるそうですが
どうやって調べるのかご存知ですか?
欧米人が喜々として行うならまだしも、なぜアジア人である日本人がありがたがるのか。
日本人の特質なのか、アメリカに遠慮した教育の成果なのか。
黒田氏のご見解を講座を通してお聞かせくださるとありがたい。
> 名声を浴びる側面もあれば、悪い噂を流される側面も持ち合わせているように思います。
> ある反面ではそういう事実があり、またある反面ではこういう一面もあった・という
> 事で無理に事実を捻じ曲げて脚色する必要は無いようにも感じます。
仰るとおりです。
秀吉の場合も、結果として朝鮮半島の人々に迷惑をかけた事実は事実として厳粛に受け止める一方で、祖国防衛のための先制攻撃で、かつ当初は半島を攻める予定はなかったという過程も同時に理解しなければいけません。
「朝鮮侵略」と決め付けることは、そういった過程を一切無視して、現代の視点から秀吉の行為を一方的に「愚劣である」と決め付ける行為に等しいものです。
> 確かに、表現は朝鮮出兵でいいかと思いますが、結果的に朝鮮を蹂躙したという事実は重く受け止めていくべきかなとは思います。
そのとおり、明の征服が秀吉の目的です。
無論、秀吉が当時の朝鮮半島の人々に迷惑をかけたという事実を私たち日本人も忘れてはいけません。しかし、本文にもあるように、「朝鮮出兵」という表記でも私たちは秀吉の行為を十分に理解することが可能です。
> ただ、依然として、朝鮮の二国とはいろいろ揉めてるわけですから、こちら側だけ反省するのもなんとなく癪ですね。
> 先月くらいに、日本と中国の有識者で、歴史に対する見解のすり合わせみたいなのをやってましたが、あれを見てる限り、確かに見解の統一は難しそうですね。
極めて重要なご意見ですね。
もし歴史を相互に理解することが可能であるとすれば、お互いの善悪の立場をそれこそ「両論併記」しなければ収まりがつかないでしょう。だとすれば、どちらかが一方的に反省したり、あるいはすり寄ったりするやり方には大いに疑問を感じざるを得ず、それこそ「癪にさわる」という感情が自然と出てくるものです。
私は世界史が専門ではありませんが、今後もりらさんのブログでの「世界一周」に対して、自分なりのコメントができればと思っております。
> 無理矢理やろうとしても、どちらかが妥協するしかないと思います。
> となると、いつまでもそれを問題にするのではなく、ある時点で表面上精算しないと未来が開けないのではないでしょうか。
そのとおりです。両論併記の形で妥協するしか方法がありませんし、どちらか一方がねじ曲げられた歴史認識を持とうとするのは問題がありすぎます。
> しかしそういう歴史認識の違いを差し置いて、民間の経済的結びつきは遙か先を行っているように思います。
平安~鎌倉時代の宋(北宋あるいは南宋)などのように、我が国はもともと中国大陸とは正式な国交を結ばずとも民間の貿易が頻繁に行われていたという歴史的事実がありますからね。
「中国の歴史認識に合わせないと経済的結びつきに支障が出る」と主張する人々がいますが、我が国との経済的交流が断たれて困るのは、果たして我が国だけでしょうか?
下手をすれば売国奴扱いをされかねない言動は慎むべきであると思います。
> ご訪問ありがとうございました。
いえいえ、この度はおめでとうございます。
> 最後の一文、共感します。
> 歴史というのは一方だけから
> 見られるものではないのでしょうね。
> 国が違うのなら尚更なのでしょう。
> 原爆投下の話題でも同じように思います。
北米まで留学なさっておられる彩さんならではのご意見ですね。
原爆投下という人類最大の愚行に関しても、アメリカは口をぬぐって国としては絶対に謝罪しようとしない。それはそれで仕方がないのかもしれませんが、私たち日本人は「水に流す」ことがあっても、原爆が落とされたという事実をずっと子孫に伝えていくことでしょう。
> 秀吉の話で思い出したのですが、
> 彼の死因は脚気だったという見方があるそうですが
> どうやって調べるのかご存知ですか?
秀吉の墓を開けて遺骨の調査をしたという記憶がありませんから、おそらくは伝えられた当時の様々な症状から総合的に判断したと考えられます。
もちろん、生来の「お祭り好き」という一面もあるでしょうが、歴史的経緯をしっかりと学んでいれば、少なくとも「有難がる」ことはなかったはずです。
いずれにせよ、日本人が世界どころか、自分の国の歴史の真実すらなおざりにしているからこそ、「起こるべくして起こった」出来事です。嘆かわしいと思う前に、何をなすべきかを考えたいものですが、拙ブログが改善に向けての一つの手段たり得べきでありたいとも願っております。
朝鮮半島の問題は微妙で
我が国とも今回の講座のように
秀吉の時代からかなり歴史的に
提議がされていますよね
色々な意見もあり またそれを
言える権利のある今の日本は
やっぱり良いですね
こうした自由は、長年の歴史の積み重ねで成立したもの。別の国のように失うことのないように、我が国の政治もしっかりと行って欲しいものです。