「日本海海戦」と呼ばれたこの戦いにおいて、バルチック艦隊は戦力の大半を失って壊滅状態となった一方で、我が国の損害はわずかに水雷艇(すいらいてい)3隻(せき)のみであり、世界海戦史上における空前の大勝利となりました。なお、海戦が行われた5月27日は、後に「海軍記念日」となっています。
日本海海戦を勝利したことで、制海権を確定させた我が国でしたが、実はここが一番の正念場でした。戦争が始まって既に1年3か月が過ぎており、兵站線(へいたんせん、本国と戦場を連絡する輸送連絡路のこと)も資金面も限界に達した我が国には、これ以上戦争を続けることが不可能に近くなっていました。
一方のロシアも、度重なる敗戦で軍の士気が低下していたほか、明石元二郎(あかしもとじろう)による諜報(ちょうほう)活動の成果もあって、国内で革命運動が起きるなど政情が不安定となり、講和を模索(もさく)するようになっていました。
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