当時のアメリカの大統領はセオドア=ルーズベルトでしたが、実は金子とルーズベルトはハーバード大学の同窓であり、お互いに面識があったといわれています。そうした人物を送ることで、アメリカに有力な仲介国になってもらうとともに、あわよくばアメリカ国内における世論を、我が国に有利になるようにと導くことも視野に入れていた可能性もあります。
開戦前から講和への道を確保しようとした政府と、現場において命がけで戦い、勝利をつかみ続けた軍隊。政治家と軍人とがそれぞれの役割をしっかりと果たしていたからこそ、我が国は日露戦争において、戦局が有利なうちにロシアと講和を結ぶことが可能だったのです。
戦争は、始めることよりも「終わらせること」の方がはるかに重要であり、それを実現できたのが日露戦争であったのに対し、そうならなかったのが、いわゆる「昭和の悲劇」でした。
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