しかし、帰りの船はまたしても暴風雨に遭い、あわや難破かと思われたとき、空海は唐で彫った不動明王像(ふどうみょうおうぞう)を帆先に立て、帰国できるように祈祷(きとう)を行いました。すると、不動明王は右手に持った剣で押し寄せる波を次々と切り裂き、大同(だいどう)元(806)年旧暦10月に、空海らは無事に大宰府(だざいふ)に帰着しました。
空海が持ち帰ったとされる「波切(なみきり)不動明王」は、現在も高野山南院の本尊として祀(まつ)られていますが、このエピソードにちなんで、同じ名を持つ不動明王が全国で海難除けあるいは航海安全の神様としてお祀りされるようになりました。
なお、高知県土佐市の青龍寺は、空海が師である恵果を偲(しの)んで、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したものですが、ここの本尊も波切不動明王であり、またモンゴル人初の横綱である朝青龍(あさしょうりゅう)の四股名(しこな)の由来にもなっています。
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