地方官たる郡司(ぐんじ)を父に持った真魚は、幼い頃から聡明さを称えられ、15歳の頃には京都(=長岡京)に出て、叔父で儒学者の阿刀大足(あとのおおたり)から学問の手ほどきを受けると、18歳で当時の官僚育成機関であった「大学」に入りました。
しかし、大学での勉強に飽(あ)き足らなかった真魚は、やがて私度僧(しどそう)として山林での修行に身を投じ、その頃に「空海」と名乗るようになったと伝えられています。
そして延暦23(804)年、31歳になった空海は東大寺戒壇院で授戒を受け、派遣期間20年の私費留学僧として遣唐使船に乗り込みました。先述のとおり、彼と同時期に別の船に乗っていたのが最澄です。
造船や航海技術が未熟であった当時は、遣唐使による航海は命がけであり、4艘(そう)あった船のうち、無事に中国大陸にたどり着いたのは、最澄と空海がそれぞれ乗っていた船のみでした。
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