お七夜(しちや)にあたり、端午(たんご)の節句の日でもあった同年5月5日には、ご称号を迪宮(みちのみや)、御名を裕仁(ひろひと)と命名されました。「ゆたかに広く、おおらかな心で国を治め、人類の幸せのために尽くすことができるように」という願いを込めて、明治天皇がお名付けになったといわれています。
裕仁親王はお健やかに成長され、幼年期の頃から厳格な明治天皇の御前でも決してひるまれることなく、また伊藤博文などの明治の元勲が挨拶(あいさつ)に参上しても、物怖(ものお)じなさらず堂々と応対されたそうです。
明治41(1908)年に裕仁親王が学習院初等科へご入学されると、先述したように陸軍大将の乃木希典将軍が学習院院長として迎えられました。親王当時に乃木院長閣下をお慕(した)いなされた昭和天皇は、後にご自身の人格形成に最も影響があった人物として、乃木将軍の名を挙げておられます。
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