皇室における側室制度が法的に廃止されたのは昭和天皇の時代でしたが、側室制度自体を事実上廃止されたのは大正天皇でいらっしゃったと言えそうです。そして、貞明皇后や4人の親王様とのご家庭を大切にされた大正天皇のもとでお健やかに成長された若き日の昭和天皇にとって、ご自身がご家庭をお持ちになられた際に大きな影響をお受けになられたのも間違いないことでしょう。
ご家庭に恵まれた嘉仁親王はその後に急速に健康を回復され、有栖川宮威仁親王とともに、精力的に地方巡啓(じゅんけい、皇太子などが外出されること)を重ねられました。嘉仁親王は普段から思われたことをすぐに口にされ、行動なさるという気さくなご性格であられたため、巡啓先の関係者らを慌てさせることもありましたが、皇太子の時代から国民の人気は高いものがありました。
ただし、皇太子の度重なる大胆なご行動を快く思われなかった父君の明治天皇は、先述のとおり皇孫にあたられる裕仁親王に対してご幼少の頃から乃木希典将軍を教育係に任じるなど、英才教育を強化されておられます。
なお、嘉仁親王は明治40(1907)年に皇太子として初めて大韓帝国(当時)の地を踏まれた際に韓国皇太子との親交を深められ、お自らの意思でハングルを勉強されたとのことです。ただ、その3年後の明治43(1910)年には日韓併合が実現し、朝鮮半島は日本の支配を受けることになりました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。



いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。