その一方で、明治天皇の他の皇子あるいは皇女が相次いで幼くして薨去(こうきょ、親王などがお亡くなりになること)されたこともあり、明治22(1889)年11月に嘉仁親王が皇太子になられました。
しかし、嘉仁親王のご病弱は変わらず、明治27(1894)年に学習院を中途退学されると、以後は有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王を教育係に任じて、数人の教師によって個人指導を受けられました。
その後、明治30(1897)年に満18歳で貴族院議員となられると、明治33(1900)年には貴族院議員で明治天皇の相談役を勤めていた九条道孝(くじょうみちたか)の四女である節子(さだこ)とご成婚されました。後の貞明皇后(ていめいこうごう)です。
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