閔妃の暗殺を知って驚いた日本政府は直ちに関係者を逮捕するなどの素早い処置をとったこともあって、乙未事変は当時の大きな国際問題にはなりませんでした。
乙未事変が大きな問題にならなかった背景には、朝鮮半島内において、かつての壬午事変や甲申事変などで多数の日本の民間人が殺害されていたこともありますし、また乙未事変後に朝鮮国王の高宗がロシア大使館に移った際にも、多くの日本人が巻き添えとなって殺されています。
要するに、当時の世界各国から我が国と朝鮮とが「お互い様」と思われていたからだともいえます。乙未事変における我が国の失態は肝(きも)に銘(めい)じておくべきではありますが、同時に当時の国際情勢も視野に入れたうえで考えなければいけない問題であるといえるでしょう。なお、事変後に閔妃は大院君によって身分を剥奪(はくだつ)され平民に落とされましたが、後に我が国からの助言もあって王位を回復しています。
乙未事変後に、朝鮮改め韓国(=大韓帝国)がロシアとの結びつきをますます強めたことで、ロシアが朝鮮半島を足掛かりとしてしきりに我が国に圧力をかけるようになるなど、我が国の外交問題に深刻な影響をもたらすようになりました。
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