このような「自分よりも大きくて強い国に自国を委(ゆだ)ねる」という事大主義が、朝鮮政府内のいわゆる親露派の動きを強めることになりましたが、その最たる存在が朝鮮王妃の閔妃(びんひ)でした。
閔妃によって朝鮮が親露政権と化し、ロシアが朝鮮に対して影響力を強めれば、日清戦争以前の清国の立場がそっくりそのままロシアに移動することになりますから、これでは我が国が何のために大勢の犠牲者を出してまで日清戦争を戦ったのか分からなくなってしまいます。
こうした動きを憂慮(ゆうりょ)した朝鮮の日本公使の三浦梧楼(みうらごろう)が、国王高宗(こうそう)の父である大院君(だいいんくん)ら現地の反閔妃派と結ぶと、1895(明治28)年に、閔妃が我が国の援助でつくられた訓練隊を解散させようとして、王宮が混乱状態になった際に、閔妃が暗殺されてしまいました。これを「乙未(いつび)事変」といいます。
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