そんな中、孝明天皇はご自身を犠牲になさるお覚悟で、護国のためにひたすら祈られるとともに、多くの御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)を詠(よ)まれました。
また、孝明天皇は攘夷(じょうい)のお考えが強かったものの、異母妹の和宮親子(かずのみやちかこ)内親王を14代将軍の徳川家茂(とくがわいえもち)と結婚させるなど、討幕を好まれずに公武合体のお立場でいらっしゃいました。
しかし、慶応(けいおう)2年旧暦12月(1867年1月)に孝明天皇は36歳で崩御され、第二皇子の睦仁(むつひと)親王が翌慶応3(1867)年に16歳で122代の明治天皇として即位されました。
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