しかし、後西天皇のご在位時に伊勢神宮や京都御所、あるいは江戸で大火事が相次いだ(特に江戸の火事は「明暦(めいれき)の大火」として有名です)ことから、幕府は「災害が多いのは天皇の徳が足りないからだ」という理由で寛文(かんぶん)3(1663)年旧暦1月に後西天皇を譲位させ、異母弟で10歳の識仁(さとひと)親王が112代の霊元(れいげん)天皇として即位されました。
実は、この折に朝廷に対して譲位の工作を行った人物こそが若き日の吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしひさ)であり、後に彼はこの功績によって従四位(じゅしい)に昇進しています。
なお、寛文元(1661)年に炎上した京都御所を幕府の命令によって修復したのは赤穂(あこう)藩主の浅野長直(あさのながなお)でしたが、彼は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)こと浅野長矩(あさのながのり)の祖父にあたります。長直は当時赤穂城を新築中でしたが、天守閣の建造を断念までして御所を見事に再建しました。
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