また、華族の順列を公爵(こうしゃく)・侯爵(こうしゃく)・伯爵(はくしゃく)・子爵(ししゃく)・男爵(だんしゃく)の5つに分けるとともに、将来の我が国の上院たる「貴族院(きぞくいん)」の構成員に華族がなれるようにしました。なお、爵位(しゃくい)のうち、侯爵の字は「侯」であり、「候」ではありませんので注意が必要です。
国会開設への準備として、政府は行政機関の改革に乗り出し、明治18(1885)年には大宝律令(たいほうりつりょう)以来の太政官制(だじょうかんせい)を廃止して、西洋にならった「内閣制度」を創設しました。これは、内閣総理大臣(=首相)が内務省や外務省などの各省の長官たる国務大臣を率いて内閣を組織し、天皇の輔佐(ほさ)として国政におけるすべての責任を負う制度でした。
初代の内閣総理大臣には伊藤博文(いとうひろぶみ)が就任しました。伊藤はこのとき満年齢で44歳の若さでしたが、この記録は今もなお破られていません。なお、宮中(きゅうちゅう)の事務にあたる宮内省(くないしょう)は内閣の外に置かれ、宮中と行政府とが明確に区別されました。なお、宮内省の長官としては宮内(くない)大臣が任じられましたが、初代は首相の伊藤博文が兼任しました。
また、天皇の印たる御璽(ぎょじ)や国家の官印たる国璽(こくじ)を保管するとともに、天皇の諮問(しもん、意見を求めること)に応じる内大臣(ないだいじん)も新たに置かれ、初代内大臣として三条実美(さんじょうさねとみ)が就任しました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。



いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。