しかし、朝廷の財政は引き続き窮乏(きゅうぼう)しており、ご即位から10年後の天文(てんぶん、てんもん)5(1536)年にようやく即位式を催行されましたが、その際に大内氏や北条(ほうじょう)氏、今川(いまがわ)氏、朝倉氏らの戦国大名が寄進しています。
天文9(1540)年旧暦6月、後奈良天皇は書写した宸筆の「般若心経」を諸国に奉納され、ご自身の不徳をお詫びされるとともに、疾病(しっぺい)流行の終焉(しゅうえん)を祈願されました。また、天文14(1545)年旧暦8月には伊勢神宮への宣命(せんみょう、天皇の命令を漢字だけの和文体で記した文書のこと)を奉(たてまつ)り、大嘗祭(だいじょうさい、天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭=にいなめさいのこと)ができないことを詫びられ、国運と民の興隆を祈願されておられます。
弘治(こうじ)3(1557)年旧暦9月、後奈良天皇は62歳で崩御されました。なお、追号の「後奈良」は平安時代初期の平城(へいぜい)天皇の別名「奈良帝」が由来であり、父君の後柏原天皇(桓武天皇の別名が由来)とともに「桓武-平城」の父子に対応した追号となっています。
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