そんな経緯で将軍になった義晴ですが、約25年ものあいだ地位を維持し続けたものの、最後には細川氏の内紛をきっかけに、将軍職を子の足利義輝(あしかがよしてる)に譲りました。
その後、細川氏が内紛を繰り返す間に実力をつけた家臣の三好長慶(みよしながよし)によって、13代将軍の義輝は傀儡(かいらい、自分の意志や主義を表さず他人の言いなりに動いて利用される者のこと)となりましたが、義輝は諸大名の抗争の調停を行うなど少しずつ政治的手腕を発揮し、幕府権力の復活に努めました。
しかし、こうした義輝の動きを警戒した三好氏の家臣の松永久秀(まつながひさひで)らが永禄(えいろく)8(1565)年に謀反(むほん)を起こすと、義輝は奮戦むなしく無念の最期を遂げました。これを当時の年号から「永禄の変」といいます。
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