さらには、義教が非業の死を遂げなければならなかった原因をつくった赤松氏によって、後南朝の御所に最後まで残っておられた高貴な血統を絶たれてしまうという悲劇にもつながってしまいました。歴史というものは、時として苛酷(かこく)な流れを生み出すものなのでしょうか。
こうして後南朝は歴史の表舞台から消滅しましたが、民間の伝承としては生き残り続け、後に明治44(1911)年に南朝が正統であると明治天皇がご裁断されてからは、自分こそが後南朝の末裔(まつえい)であると主張する人々が出現し始めました。なかでも有名なのは、第二次世界大戦の終戦直後に話題になった「熊沢天皇」こと熊沢寛道(くまざわひろみち)氏ですね。
ところで、後南朝が現時点で最後の史料にその姿が残されている「ある大乱」とは、いったい何のことでしょうか。
実は、それこそが戦国時代の幕開けになったとされる「応仁(おうにん)の乱」なのです(詳しくは後述します)。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。



いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。