応永17(1410)年、自分の子を皇太子と認められないことを不服として、南朝の後亀山上皇が京都から吉野へと移られました。その後、応永19(1412)年に北朝の後小松天皇が子の称光天皇に譲位されると、南朝に味方した伊勢の国司(こくし、地方の国の行政官のこと)の北畠満雅(きたばたけみつまさ)が挙兵しましたが、失敗に終わりました。
戦後に幕府と和睦したことで、後亀山上皇は京都へ再び戻られ、そのまま応永31(1424)年に崩御されましたが、その後も、南朝の勢力は皇位を回復すべく、様々な手段で幕府と対立することになりました。
南北朝の合一以後における南朝のこれら一連の動きは、今日では「後南朝」と呼ばれています。
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