つまり、義嗣は親王と同じ待遇になったのです。ということは、近い将来には義嗣が天皇になり、義満自身は天皇の父、つまり上皇に準ぜられ、治天の君として「天皇を超える存在」となり、我が国をほしいままに支配することになる。皇室にとってはまさに最大の危機でしたが、義満の野望は、結局は実現することはありませんでした。
なぜなら、義嗣が元服した直後の応永15(1408)年に義満は病に倒れ、急死してしまったからです。それまで元気でいたのが急に体調が悪化したことから、義満が天皇を超える存在になることを恐れた朝廷などの関係者から暗殺されたのではないか、という説が唱えられています。
その真偽は定かではありませんが、いずれにせよ、自分の野望が達成される直前でこの世を去らなければならなかったのは、義満にとってさぞかし無念であったことでしょう。
なお、義満の死後、朝廷は太上天皇(だいじょうてんのう)、つまり上皇の地位を追贈しました。幕府はこれを辞退しましたが、皇室とは直接的に縁のない義満に対して、なぜ朝廷が上皇を追贈しなければならなかったのでしょうか。
確固たる証拠が存在しない以上は、永遠の謎と言わざるを得ないのかもしれません。
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