中国の皇帝から「国王」に任じられて暦を受け取るという行為は、中国を宗主国と認め、屈辱的な朝貢(ちょうこう)外交を行うことを意味しました。
これは、聖徳太子(しょうとくたいし)以来続いてきた我が国の中国大陸からの独立性を損なうものでしたが、義満は自らを「日本国王臣源道義(にほんこくおうしんげんどうぎ)」と称して貿易を行いました。なお、道義とは出家した義満の法号です。
なぜ義満は朝貢外交を受けいれてまで貿易を行ったのでしょうか。主な理由として考えられるのは、貿易による莫大(ばくだい)な利益を得るためには、対等であろうが朝貢であろうが問題ないという経済重視の姿勢ですが、もうひとつの別に隠された理由がありました。
実は、義満は自らが「天皇を超える存在」として君臨するという大きな野望を持っており、明から「日本国王」に任じられること、つまり明からの「お墨付き」を得ることが、野望達成の近道になると確信していたのです。
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