これらの動きを自由党への弾圧(だんあつ)の好機と見た三島は、河野をはじめ多数の自由党員を検挙しました。これを「福島事件」といいます。なお、事件のきっかけとなった県道はその後に完成し、現在でも国道の一部として使用されています。
福島事件の発生は全国の急進的な運動家に大きな影響を与え、明治16(1883)年には新潟で「高田事件」が、明治17(1884)年には「群馬事件」や、同年に栃木県令となっていた三島通庸を暗殺しようとした「加波山(かばさん)事件」などが相次いで起こりました。
連続する激化事件の発生や運動資金の不足によって、党の運営に自信を無くした自由党の指導部は、明治17(1884)年10月末に党を解散しました。また、立憲改進党も同年末に大隈重信が離党したことで、事実上の解散状態となってしまいました。
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