こうして国会開設への具体的な動きを受けてさらなる発展を見せようとした自由民権運動でしたが、この後に思わぬかたちで大きな挫折(ざせつ)を経験することになりました。
挫折の主な原因となったのは、皮肉にも自由民権運動が本格化するきっかけをつくった「あの戦争」だったのです。
なお、民間における政党の結成を受けて、政府側においても、明治15(1882)年に福地源一郎(ふくちげんいちろう)らによって「立憲帝政党(りっけんていせいとう)」がつくられましたが、民権派に対抗できるだけの勢力になりえぬまま、翌明治16(1883)年に解党しています。
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