まず明治7(1874)年1月、右大臣の岩倉具視(いわくらともみ)が、東京・赤坂から馬車で移動していたところを士族に襲われて負傷しました。これを「赤坂喰違(あかさかくいちがい)の変」といいます。
同じ明治7(1874)年2月には、征韓論争で下野した一人である前参議の江藤新平(えとうしんぺい)が、出身地の佐賀県で挙兵しましたが、激戦の末に鎮圧され、江藤は処刑されました。これは「佐賀の乱」と呼ばれています。
その後、明治9(1876)年に政府が秩禄処分や廃刀令など、それまでの士族の特権を次々と奪(うば)うと、同年10月に熊本県の敬神党(けいしんとう、別名を神風連=じんぷうれん)が反乱を起こし、熊本の鎮台を攻撃しました。これは「敬神党の乱」、または「神風連の乱」と呼ばれています。
敬神党(神風連)による反乱は各地へ飛び火し、同じ明治9(1876)年に福岡県の秋月(あきづき)では旧藩士らの不平士族が、山口県の萩(はぎ)では前参議の前原一誠(まえばらいっせい)が相次いで乱を起こしました。前者は「秋月の乱」、後者は「萩の乱」と呼ばれています。
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