そんな折、尊氏の実子でありながら父に嫌われ、直義の養子となっていた足利直冬(あしかがただふゆ)が尊氏派によって九州へ追われると、地元の勢力を味方につけて尊氏に反旗を翻しました。
九州の激変ぶりに驚いた尊氏が、南朝の正平(しょうへい)5年/北朝の観応(かんのう)元(1350)年に直冬を討伐すべく自らが遠征すると、その隙をついて直義が南朝に降伏しました。南朝はこの頃までに尊氏派の武将によって吉野を追われて賀名生(あのう、現在の奈良県五條市)まで後退していたのですが、直義の降伏で息を吹き返すことになりました。
直義は反尊氏派の勢力を引き連れて、尊氏の子の義詮(よしあきら)が守っていた京都へ攻め込み、敗れた義詮は尊氏を頼って備前(びぜん、現在の岡山県)へと落ち延びました。室町幕府が成立してから10年以上も経っていながら、天下は再び大きく乱れ始めたのです。なお、これ以降の幕府の内乱は「観応の擾乱(じょうらん)」と呼ばれています。
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