高氏は他の反幕府勢力を率いて京都へ入り、大覚寺統の元弘3年/持明院統の正慶2(1333)年旧暦5月7日に六波羅探題を滅ぼしました。
同じ頃、高氏と同じ源義家の血を引く新田義貞(にったよしさだ)も、上野(こうずけ、現在の群馬県)で討幕の兵を挙げて鎌倉へ向かいました。
義貞は鎌倉を脱出した高氏の子の千寿王(せんじゅおう、後の足利義詮=あしかがよしあきら)と合流して、一緒に鎌倉を攻めました。旧暦5月18日には北条氏最後の執権である第16代の北条守時(ほうじょうもりとき)を滅ぼし、22日には得宗の北条高時や内管領の長崎高資らを自害に追い込んで、源頼朝以来約140年続いた鎌倉幕府はついに滅亡しました。
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