一方、元の来襲という国難に際して、特に弘安の役の折に暴風雨が発生したことで「我が国は神風に守られている」とする神国思想がこの後に主流となっていきました。この思想は、やがて我が国に対して大きな影響をもたらすことになります。
さて、あきらめきれないフビライは、我が国に対して三度目の来襲を計画しましたが、諸般の事情で中止となり、元はその後二度と我が国を攻めることができませんでした。一方、我が国は九州沿岸の警戒体制をゆるめず、元寇を機会に幕府の影響力を西国にも広めました。永仁(えいにん)元(1293)年には「鎮西探題(ちんぜいたんだい)」を設けて、北条氏一門を派遣して九州の御家人を統括(とうかつ、別々になっているものを一つにまとめること)しました。
また、幕府は、それまでは支配の外にあった国衙領(こくがりょう、国の領地のこと)や荘園の非御家人の武士を動員できる権利を朝廷から与えられるなど、元寇は結果として幕府の支配を強化するという効果も生み出しました。
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